地域未来

機能とデザインで心をつかむ朝倉染布の超撥水風呂敷

産業構造の変化に挑み続けた開発ヒストリー


 「西の西陣、東の桐生」と称するように群馬県桐生市は日本有数の“旗どころ”、織都(しょくと)として1300年もの歴史がある。日本の近代化、経済成長を支えてきた繊維産業だが、国内の染色加工業は近年のアジア諸国との価格競争をはじめとする構造的な変化に伴い、衰退傾向にある。こうした中、異彩を放つのが創業127年の歴史をもつ朝倉染布(せんぷ)。同社が製造する超撥水風呂敷は、デザイン性はもとより、緊急時には10リットルもの水をバケツ代わりに貯めることができるほどの機能も消費者の心をつかんでいる。一枚の布に込められた起死回生策とはー。

経営基盤をどう強化

 朝倉染布の創業は1892年(明治25年)にさかのぼる。精米業を営んでいた創業者が「農業用水で使う水の動力を利用して、織物の整理(仕上げの加工)ができないか」と繊維工業に着目したことにさかのぼる。
 創業当初は絹やウール、綿などの天然繊維の加工を行っていたが、徐々にレーヨンやナイロン、ポリエステルなどの合成繊維へと転換。これに伴い会社の規模も徐々に拡大したものの第2次世界大戦の拡大に伴い、当時2つあった会社の一方は国に接収。1955年頃には、東洋レーヨン(現東レ)のナイロン織物の指定工場になり、地元桐生の織物産地の加工から、近代的な工業製品の加工業への脱却を図った。その後は伸縮性のある素材や、優れた撥水加工を開発し、会社は全盛期を迎えることとなる。
 ところが一転。1960年代に入ると、繊維産業を取り巻く環境は大きく変化する。対日貿易赤字の膨張にいらだつ米国が不均衡の解消を日本に迫り、日本は輸入面での関税削減と当時に輸出面でも自主的な輸出規制で摩擦解消に務めた。結果、国内の多くの繊維関連企業が苦境に立たされる。同社も例外ではなく、新市場の開拓や「オペロンテックス」と称するウレタン糸活用した商品を製造することで、業績の安定に努めてきたものの、バブル経済の崩壊で再び経営環境は悪化。これまで何とか国内生産を維持していた製品までもが中国や台湾勢との価格競争に直面し、収益は悪化の一途をたどる。
 これに追い打ちをかけるように、国内染色最大手のセーレンが子会社を設立し、インクジェットプリント分野への参入を表明。朝倉染布の売上の大半を占める水着用生地の生産に乗り出した。従来型の製造手法にこだわっていては、プリントだけでなく、無地の水着用生地の加工まで大手に奪われてしまうー。こうした危機感がオリジナル商品の開発を通じ、経営基盤を強化する戦略へ舵を切る原動力となった。

オリジナル商品開発に挑む

 まず着手したのは生地の製造・販売。他社からの依頼を受けて生地を加工する場合、染色・縫製など工程ごとに他社と分業化されているため、利幅が少なくなってしまうが、これを自社で一貫生産することで収益力の向上を狙った。インクジェットプリントの加工技術は確立していたことから、生産までは順調に進んだものの、問題は販路獲得。「町工場でデザインした製品をアパレル企業に直接売り込むことは正直、ハードルが高かった」。6代目となる朝倉剛太郎社長は振り返る。
 次に着目したのが、東レと共同開発をした撥水技術。水分を含まず、かつ蒸れにくい性質があるため、以前はおむつのカバーに利用されていた。この技術を用いて開発したのが、前述の超撥水風呂敷「ながれ」である。

朝倉剛太郎社長


 「撥水力の高さは一目瞭然」と朝倉剛太郎社長が語るように、当初はその機能性を風呂敷を引き合いにPRするにすぎないつもりだった。ところが消費者の反応は好評だったことから風呂敷そのものがビジネスとなる結果につながった。実際、風呂敷は布の四方を縫うだけで完成するので、生産が比較的容易であることや季節を問わず販売できる、デザインのモデルチェンジが緩やかなど、中小企業が参入する利点も大きかった。この判断が結果として同社の名を広く知らしめることとなる。
 2011年には「グッドデザイン・中小企業庁長官賞」、2013年にはドイツの「red dot award : product design 2013」を受賞するなど、機能だけでなくデザイン性も国内外で評価されている。デザイナーによって幾何学模様や北欧柄など得意な分野が異なるため、特定のテイストでイメージが固定化しないよう、2年に1度デザインの公募もしている。

風呂敷に水を垂らしても浸透せず、水滴ができる。袋状にすれば水が10L運べる。

地元への感謝の念

 当初の売れ行きは年間1000枚程度だったが現在では年間数万枚、累計の販売枚数は30万を超えるヒット商品となった。最近では結婚式の引き出物や、地元・桐生市のふるさと納税の返礼品、群馬県内のサービスエリア内のお土産として利用されている。朝倉社長は「地元の方の購入割合が非常に高く、地域の人から愛され・支持されている商品であると自負している」としたうえで「会社や製品を育ててくれた地元への恩返しを続けていきたい」と語る。そもそもヒットのきっかけも、地元の夕刊紙「桐生タイムス」に取り上げられたこと。地域への感謝の思いを新たにしている。こうした思いも背景に、撥水加工を施したアームカバーなどのアパレル商品の縫製は、地元企業に依頼。地域の雇用や経済を活性化させる存在でありたいと考えている。
 かつては構造不況業種とみなされ、現在も国内自給率は3%を切るとされる繊維製品。しかし逆風下にあっても独自の経営姿勢と商品開発力、さらには消費者の心をつかむ美意識で、将来展望を見いだす企業が確実にある。同社の姿は国内市場の縮小や海外勢との価格競争に直面する地域の企業が将来展望を描くうえで参考になりそうだ。

【企業情報】
 ▽所在地=群馬県桐生市浜松町1-13-24▽社長=朝倉剛太郎氏▽設立=1892年▽売上高=約13億5000万円(2017年4月期)