政策特集現代を彩るTAKUMI vol.5

悠久の歴史を受け継ぐ和紙職人が描く未来

作り手探訪【後編】石州和紙・川平勇雄さん

赤ちゃんが初めて履く靴「『神の国から』紙のくつ」


 赤ちゃんが生まれて初めて足を入れる「ファーストシューズ」。西洋では玄関に飾っておくと幸せを呼び込むとの言い伝えもあるこの一品を、1300年もの歴史を持つ日本古来の和紙で作って祝いたいー。
 そんな思いから、「紙のくつ」を製作するのは、石州和紙職人の川平勇雄さん(48)。原料の楮(こうぞ)は100%地元産。化学的な漂白や着色、糊材を一切使わず、かがり糸や靴ひもも紙で作られている。もちろん実際に履くことができる。1000年持つとされるだけに、代々受け継ぐ喜びもありそうだ。

伝統を「守る」だけでなく

 さまざまな産地で漉(す)かれている和紙だが、日本海をのぞむ山あいの町、島根県浜田市三隅町に伝わる石州和紙の特徴は、強靱(きょうじん)さと、やや黄みがかった光沢ある美しい風合いにある。地元で栽培された良質の楮を甘皮ごと使用するため、紙の繊維が長く破れにくく、文化財の修復にも用いられてきた。
 「伝統を守ることはもちろん大切です。でも守るだけで将来展望は描けません。自分にしかできないものづくりを追求することで、次代へ向けた礎を築くー。それが僕に課せられた役割だと思っています」。「紙のくつ」に込めた思いをこう語る。

川平勇雄さん

 川平さんが口にする「伝統」。それは気の遠くなるような歴史の中で育まれてきた。飛鳥時代、柿本人麻呂によって伝えられたとする石州和紙は、農閑期の副業として盛んに行われ、明治時代には6000軒あまりが携わっていたが、現在では工房4軒が残るほど。楮だけでなく、ねりを出すために不可欠なトロロアオイの生産者が減少傾向にあるといった構造的な課題にも直面する。

製法伝える「重宝記」

 その技法は今もほとんど変わらない。江戸時代後期に発刊された「紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)」には、楮の育て方からおよそ20におよぶ製造工程が、著名な浮世絵師が描いた躍動感ある挿絵とともに記されている。特産品とされる多くの産物は、その技術は秘法とされたが、石州和紙はむしろ多くの人に広めたいと考えられたからだ。そのためには、誰が見ても分かりやすく親しみやすい内容にする必要があった。
 「これは単に製法を後世に伝えるだけでなく、戒めの書だと思っています」。川平さんは別の見方を示す。石州和紙は、その丈夫さゆえ、大阪商人が帳簿などに愛用し、火災の際には井戸に投げ込んで保存されたというほど。前述の「紙漉重宝記」作者は「紙すきに携わる人の苦労を知らずに粗末にしている」と嘆き、「紙を扱う商人にこそ読んでほしい」との一文があるからだ。
 それは大量生産品によって暮らしが成り立つ現代社会において、丹精込めて作られた商品の良さをもっと知ってもらいたいとの思いと重なるようだ。「そのためには、どんな商品を作り、どう発信すれば使い手の心に響くのか、日々模索しています」(川平さん)。

「紙漉重宝記」の復刻版を見せてくれた

 実際、これまでも石州半紙を用いた懐紙などの茶道具や、同じく国が指定する伝統的工芸品である房州うちわとのコラボ商品などを生み出すなどさまざまな試行錯誤を重ねている。
 そんな川平さんは、石州和紙工房「かわひら」の3代目。父の正男さんは現代の名工。母の律江さんは、和紙で作られた紡ぎ糸で、ストールやコースターなどを製作し工房を支えるなど、家族で営んでいる。川平さん自身は、大学院を中退後、築地市場で生鮮品の流通に携わってきたが、40才を目前に実家の工房を継ぐ決意を固めた。「父も学校卒業後は、造船関係の仕事に従事していました。外の世界を経験している点では共通しています。だからこそ、家業を継ぐことへの思いも同じだと思います」。
 託されていく技能伝承のバトン。新たな感性が加わりながら、産地の歴史はかたちづくられていく。

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