地域未来

「ベビースターラーメン」のおやつカンパニー 外資系ファンドとさらなる成長目指す

多くの人に愛されて61年となるベビースターラーメン

 「ベビースターラーメン」と聞くと、幼い頃、小銭を握りしめてお菓子屋さんに走ったなつかしい記憶や、「もんじゃ焼きのトッピングには欠かせないよ」と名脇役として活躍した記憶など、それぞれに思い出のシーンが浮かぶ商品だろう。おやつカンパニーは、スナック菓子として圧倒的な知名度を誇る商品を有し、堅実な経営を続けてきた。そんな同社が次の成長段階のパートナーとして選択したのは、外資系ファンドのカーライル・グループと異業種から招いた経営者だった。

「もったいない」が原点

 おやつカンパニーは戦後間もない1948年に松田産業として創業した。戦後の食料不足を解消するために、麺類などの加工食品の製造販売を手がけていた。ラーメンの製造過程で、どうしても麺が欠けてしまい、大量のかけらが発生していた。創業者の松田由雄社長(当時)は、「もったいないなあ、なんとかできないものか」と思い、麺のかけらを味付けなどしてアレンジし、従業員に食べてもらった。「社長、これおいしいです」と高評価を得、近所でも評判になった。「これは商品化できるのでは」と考え、1959年に満を持して「ベビーラーメン」として発売した。
 1袋10円という安さで、子どもたちが手軽に買えるおやつとして一躍ヒット商品に躍り出た。1973年には子どもたちのおやつの「一番星」になってほしいとの思いを込めて「ベビースターラーメン」に改称。スーパーマーケットの台頭など流通革命の波にもうまく乗り、順調に販路を拡大していった。

発売当時のパッケージ

 同社の中興の祖と言えるのが、2代目として就任した松田好旦社長(当時、現会長)だ。1988年には、パッケージを一新しブランドイメージも刷新した。1993年にはCI(コーポレートアイデンティティー)を導入し、社名を現在の「おやつカンパニー」に変更した。2007年にはべビースターラーメンに次ぐ商品として「フランスパン工房」をヒットさせるなど、矢継ぎ早に改革に取り組んだ。2010年初頭には同社の売上高は180億円に拡大、中堅菓子メーカーとして安定した地位を築き上げた。
 同社のお菓子は子どもがお小遣いで買える低価格の商品が多い。当時のベビースターラーメンは1袋30円。ヒット商品が出ればすぐ他社から類似商品が出る厳しい競争市場でもある。そのなかで生き抜くために同社がとったのは、生産工程を徹底して自動化し、製造コストを低減させる戦略だった。1992年に竣工した久居工場(三重県津市)は、当時の食品業界としては珍しい自動化・省人化を実現させたものだった。

久居工場。自動化・省人化は92年の竣工当時は珍しかった

後継者選びの苦悩

 2000年代に入り、松田社長は後継者について思いを巡らせることが増えていった。松田社長には2人の息子がおり、それぞれ別の会社で働いていた。彼らを呼び戻して経営者として育てる選択肢もあったが、「果たしてそれが正しい選択なのか」との思いもあった。自身は2代目として、親が苦労する姿を間近で見てきたが、子どもたちはそうした経験もない。当時、次の成長として海外展開に本格的に取り組むことを考えていた。そのために最適なパートナーは誰か。さまざまな候補を検討し、最後に選択したのが、外資系ファンドのカーライル・グループだった。
 2014年、同社の筆頭株主はカーライルへと引き継がれた。カーライルは買収した企業の経営にふさわしい成長のあり方を検討し実行することで企業価値を高めるという方針をとっている。おやつカンパニーに対しても、取締役会に詳細な経営データをもとに方針を決定する手法を導入するなど、取締役会を改革した。商品開発にもマーケティングの専門家を招へいし、販売チャネルの分析やチャネルごとの商品戦略を緻密に作り上げるマーケティング部門を整備した。当初は社員から驚きの声も上がったが、成長過程にある会社らしく、新しいことに挑戦する意欲が高まり、経営の変化を受け入れていった。

経営体制一新の集大成

 経営体制一新の集大成として2017年に手島文雄氏を社長に迎え入れた。手島氏はひげそり用製品やカミソリブランドとして知られるシックの日本法人社長やアジア事業のCEO(最高経営責任者)を担ってきた。消費者向け製品やグローバルビジネスの経験の豊富さが買われての起用だった。
 「社員にとっては、カーライルと資本提携したことより、私が来たことの方が衝撃が大きかったのではないか」―。手島社長は当時をそう振り返る。手島氏の社長就任と同時に、長年同社を率いてきた松田氏が会長になり、「会社の経営を新社長に任せる」と宣言したからだ。その姿勢は徹底しており、社員が相談に行っても「社長に相談しなさい」と諭されることもあるほどだった。

2017年に就任した手島文雄社長。さらなる成長軌道へと導く

グローバル展開へ

 同社初の海外生産拠点である台湾工場が竣工したのも同時期だった。悲願のグローバル展開への橋頭堡が築かれた。それまで輸出で対応していた製品を、現地の人々の好みに合わせて開発し、生産する体制が構築できた。
 台湾工場の存在は同社の海外展開の大きな武器となった。それまで日本から韓国や中国へ輸出していたが、すでに台湾工場から香港や韓国などへ輸出する体制を整え、コスト面でも競争力を高める戦略をとった。今後、さらに狙うのが北米市場だ。米国ではラーメンといえばとんこつ味が人気という。今年度から本格的にとんこつ味などのべビースターラーメンの輸出を開始する。巨大なスナック市場である米国で、ベビースターがどこまで支持を得られるか。新たな挑戦が始まる。
 新型コロナウイルス感染症は同社にとっても試練を与えた。巣ごもり需要でスーパーなどで販売するおつまみ関連商品は伸びたが、インバウンド向けや都心のコンビニ向け商品は軒並み影響を受けた。ただ手島社長は外資系企業で長く働いた経験から、リモート環境での業務には慣れていた。緊急事態宣言が出た春から、リモート環境を一気に整え、社員が在宅で勤務できる態勢を整えた。 「『研究開発もリモートにトライしよう』と無茶な指示もしたが、やりようで一定程度の対応が可能になった」と振り返る。当面はウィズコロナでの経営が続く。「リモートのいいところと課題を見極めて、社員の働き方改革につなげていきたい」と考えている。さらに、「アフターコロナで消費者の購買動向がどう変容するのか。主戦場がどの流通チャネルとなるのかを冷静に分析し、対策を練っていく」と先を見据えている。
 カーライルとの資本業務提携以降、同社の企業価値は確実に向上した。手島社長は今後の資本政策に関しての質問にはコメントを差し控えるとしているが、どんな思いが去来するのか。
「私は経営者として、おやつカンパニーの発展のためにやるべきことをやっていくのみです」。

【企業概要】
▽所在地=三重県津市一志町田尻428-1▽社長=手島文雄氏▽創業=1948年▽売上高=207億円(2019年7月期)